寝たら死ぬ的日常
つー訳でアホほど更新してませんでした。こんばんわ、お久しぶりです。
えー。
なんかまぁ色々あるんですが、しかし、別に鬱とかいう訳でもなく。
疲れてるって表現が一番しっくりくるんですが、肉体的疲労はまたちょっと違いまして。
なんつーか、小説が上手くいかないんですよね。
基本的にいつもそればっか考えてる人なので小説が上手く進まないと体が動かないのです。書いたり描いたり、歌ったり弾いたり撮ったり作ったりする人なら分かるんじゃ無いだろうか、こういう感じ。
色んなものが溜まっていくんですよね。
こういうときは寝たくありません。
アホほど動きまくって延々書き続けていたい。
でも上手くいかない。
何か、気分の変わるようなことがあればいいのかもしれませんが。
しかし今の感情だって、それはそれで、物語を作るのに大事な気もします。
いやオチは無いが。
さておき、感情の話。
感情っていうものがとても好きです。
喜怒哀楽、どれでもいいんですよ、正直。そこは感情の重さに関係ない所なので。
重要なのは感情の重さ、厚さ、深さです。いや、あくまで個人的な趣味の話なんですけどね。
薄っぺらい感情がどうも好きになれません。安い正義感とか、意味の無い気のわずらいとか、単純な欲求とか。どうも善くない。面白くない。
例えば、とある先生の話です。
その先生は障害のある子供達の施設で一人の子供に出会ったそうです。親が居ないその子を引き取りたい、そう思われたそうです。
独り身だったので、結局引き取ることは出来なかったそうですが。
『こんなことを考えとるから結婚できへんのやろなぁ……』と、そんなことを寂しげに言った先生の表情が今も残っています。
その先生はしばらく前、結婚されました。その子を引き取ったかどうかなんて自分は知りませんが、しかし、どちらの答えでもそれはそれでいいような気がするのです。
安い正義感なら、きっと子供を引き取らなきゃ成り立たないんでしょうね。かわいそうな子供を見捨てて結婚したなんて、その価値観からしてみたら、酷いことなんでしょう。
即物的なら、結婚できるだけで十分、と簡単に諦める気がします。
自分が好きなのはこの狭間です。
悩んで悩んで、どうしようもなく選んだその答えがとても好きです。どちらでもいいんです。ただ、二つの答えの中で悩んだ答えは、一つを選んで突き進んだ答えよりも重く大事なことの気がします。
とか言ってみましたが、実際、その時にだけ生きる感情も好きなんですが。
いやだからオチとか言われても。