さて。

 という言葉には会話や文章の進行に関連して転換を促したりする効能があり、自分はこの類の言葉、さての他にもさておき、とりあえずなどを多用する訳ですが、そもそもなんでこんな言葉があるのかというと人は区別を付けずには居られない文化を既に持ち合わせているからなのかもしれません。そもそも全は一一は全という言葉がありまして、某鋼な錬金術師によって有名になったかもしれないけれど昔からあったし知る人はいたしどうせ漫画で知ったんだろとか言われるとやや不快なのですがまあんなこたぁどうでもよくてこの言葉はぶっちゃけ全を金にしても気付きにくいような気がしますがそんなことはさておき全は一で一は全な訳です。訳わからねぇ。えーまぁつまりは万物はその存在価値理由因果道程に置いて等価である事を人は忘れてしまっているということです。ていうかそれを忘れることが生物の始まりです。野生動物は割と物の区分をせず、食べられるか食べられないか、安全か不安か、割と大雑把に自由に分けているんですが、人間は複雑になることで今の地位を得ている訳で、それを捨てればそこらへんの子犬とかに『この単細胞!』とか罵られてしまいます。そんな風に罵られるのはコメディー系の作品に出てくる馬鹿キャラの特権です。罵るのはその馬鹿の幼馴染でお願いします。いや何がだ。俺が馬鹿か。しかしまあさておいてですねさてという言葉には物事を区切る意味がある訳です。他にも段落で分けたり話の展開で分けたりして文章の内容を整える訳で、この記事みたいに滅茶苦茶に混雑させている文章を効果的に論理的に読み解くことが出来ます。そろそろ読んでる人も少なくなったんじゃありませんかね。ていうかこれ、読んでる人居ますかねコレ。まあ話を戻しますが、話を戻すのは二回目ですが、簡単に言えば人はある程度物事を論理的に整理して区分しなければ理解出来ないということです。詳しい名称は忘れましたが一つを二つに割って四つに割って八つに割りこの時点で八卦。さらにさらに細分化して行く訳です。六十四にも何か名前があった気がしますが思い出せません。というか誰に向けて描いてるんでしょうかこの文章。知りません。実は単にエセ論理かましてみたくなっただけなのです。あ、石投げないで石投げないで。